徳島県で映像・写真・執筆などのクリエイティブ業を営んでおります、DAISUKE KOBAYASHIです🎥
今日はヴィム・ベンダース監督『PERFECT DAYS』について。
Amazonプライムにて配信されていまして、ヴィム・ベンダースにルー・リードってことで気になっていた映画でしたので早速観てみました。
僕はなぜか邦画を基本的に毛嫌いしている傾向があり(笑)、ほぼ観ることがないのでこうして邦画を積極的に観るのは自分でも驚きです。
で、観てみた感想は非常に映画的で「やっぱ撮り方上手いな〜」と唸りまして、観て良かったなと感じた作品でした。さすが巨匠ヴィム・ベンダース!すごい!
とは言っても、映画の内容自体は一見中身が無く、それに合わせて非常にノスタルジックな表現となっています。そして淡々としており、現代のYouTubeにあるVlog的な映像とも言えます。
正直、こんな映像観せられてなぜ面白く感じるのか不思議でなりません。僕はもうワンショット目から引き込まれました!
一見、人の良さそうな平山だが…
主人公は平山(役所広司)。過去を生きているため、僕は全く感情移入する事は出来ず、ナヨっちくて嫌気がさすほどです。
そして平山は一見、人が良さそうに見えますが、実は自分の事しか考えていない自己中野郎で、「こいつ過去に何があったんだ?」と思わずにはいられません。
ルーティンを崩されるとキレ気味になるあたりに人間性の小ささが現れており、ニコ(ベルベッツ!)という姪っこを妹に受け渡すシーンがありますが、その時の平山の無責任さや弱さといったらありません。
要は、これは単にノスタルジーを描いているだけの映画ではない、ということなのだと僕は解釈をしています。
それはタイトル『PERFECT DAYS』(元ネタはルー・リードのパーフェクト・デイという楽曲)に集約されているとも言えると感じています。
セリフがほぼ無い!
というのも、この作品はすべてを語らないどころか、全くと言ってよいほどセリフがありません。平山の背景などの説明すらないため、観た人の想像に任せるしかなく、それ故に観た人によって解釈が真逆になるし、メタファー化、もしくはカルト化する妙な面白さをも感じます。
同時に、解釈の余地があまりにも広すぎる&映画として面白すぎるため、逆に解釈を間違ってしまう危険さや危うさも僕は感じています。「平山さん、ほんわかしていてなんかイイね👍️」と。
で、これを観た多くの人たちはもしかしたらそっち側(危険な)な解釈をしているのかなーなんて印象を受けています。だって平山は一見ほんわかした非常に”良い人”に見えますから。
ラストシーンがすべてを語っている
つまりはラストシーンがすべてを物語っていると言っても過言ではなく、ラストに流れる曲はニーナ・シモンの「Feeling Good」。そこに平山の笑いたくても笑えない無理をした笑顔。そして朝日が昇るカット。でパーフェクト・デイでエンドロールと、あまりにも秀絶&皮肉だなと、僕は感じました。
だってこの曲、もともと麻薬依存者の曲と言われているんですよ!!!
これをさも「今日はなんて素晴らしい日々なんだ!」といった雰囲気を思わせるあたり、どう考えても皮肉としか考えられないじゃないですか!
人によっては「これぞ完璧な日々!平山さん最高!」とか思ってしまうんでしょうか?だとしたらそれってすげー危険だなと僕は感じるのです。映画の出来が素晴らしいだけに。
なぜなら、平山は超絶受け身の人生です。無口で人とコミュニケーションを取らずに自分が聴きたい音楽だけを聴き、自分が読みたい古本を読み、仕事が終われば自炊することなく、行きつけの銭湯に行って地下の飲み屋街で酒を飲んで毎日を過ごしているのです。
こんな平山のような受け身の人生を送る先に一体何があるでしょうか?気楽かもしれませんが、僕はあんな人生絶対にご免だし、もし多くの人々がああいった人生を送りたいと考えるんだとしたら全否定するし、悲しすぎねーか?寂しすぎねーか?いや、というかずるくねーか?と思うし、ヴィム・ベンダースもそれを皮肉かつ映画的に美しく表現したんじゃないかな?と思うのです。
だってこうして素晴らしい映画を観れている原点は、人間だけが持っているクリエイティビティなわけじゃないですか!
平山の行動を肯定するのだとしたら、この映画自体を否定することになるし、もっと言えば人間のクリエイティビティを否定することになるんじゃないかと思うんです。
僕はそれは絶対にすべきではないと感じているし、ヴィム・ベンダースは”ソレ”を表現したんじゃないかと思うんです。なんの意味もなく、ただ受け身で自分勝手な男の人生を描きはしないはずです。
もっと言うと平山は敗戦国の次世代のこどもだったわけです。戦争を知っている両親のもとに生まれ、外国文化が入ってきた時代にカウンターカルチャー(ルー・リードやパティ・スミス)に平山は影響を受けたわけですが、両親にはそれらが理解されることはなく、認められなかった。だから今でも施設に入っている父親と疎遠になっているし、トイレの掃除をして受け身な人生を送る…なんてことはなんの理由にもならねーだろと。
ただ現実から逃げ、壁があれば避け、自分の生きたいように生きている極めて自己中心的な人間と言えるのです。
ニコとのシーンで「ママとは生きている世界が違うんだよ」と、映画内で唯一説明的なセリフを言いますが、まさに自分でそれを言っているのです。おじさんの人生は現実から逃げてきたファンタジーな人生なんだと。
そう、この映画ではある種平山は偶像として存在しているファンタジー映画なんです。
その平山という人間をどう捉えるかは視聴者の想像に委ねられる設計になっているわけですが、それを「平山さん!」などと認識するのであれば、マトリックスでいう「青の薬」を取ることになるわけです。物語はそこで終わりだと。
僕は絶対に「赤の薬」なんです。だから平山の送る人生には違和感を感じてならないし、最後のシーンでの平山を見る限り、平山は決して満足した人生を送れていないのです。自分勝手に送る人生の日々なんて、完全に幻想なんです。
それに僕にとってルー・リードのパーフェクト・デイと言えば『トレイン・スポッティング』でレントンが純度の高い麻薬を打って沈むシーンなんです!
だから、この映画の存在を知った時や、「こんなふうに生きていけたなら」と使われていたコピーを見たとき、とてつもない違和感を覚えたのを記憶しています。
「ん?麻薬で落ちいく曲でこんなふうに生きていく?ダウナー映画ではなさそうだが?」と。
で、その答え合わせとして観てみて納得。「なるほどな〜」と。
広告代理店な仕事
映画の内容は皮肉たっぷりで納得です。一方でこんな酷いコピーは無しでしょう。いや、逆に巧いなと。それもそのはずどうやら今作、電通とズブズブのようです。
「こんなふうに生きていけたなら」ではなく、本当であれば「こんなふうに生きた先に一体なにが残るのか」「こんなふうに生きたくない」といった表現が誠実で正解だと思いますが、電通はブルーカラーを全肯定するというわけです。
そうして多くのブルーカラーに映画を届け、この映画の真意を有耶無耶にするというわけです。流石大手広告代理店。仕事してますね💩。
そうそうユニクロのCEOだったかな?も絡んでいます。というか資金の出所はそこからですので、きっとそうせざる得ないのでしょう。
脚本はヴィム・ベンダースと共同制作で高崎卓馬という方。『ホノカアボーイ』というハワイを舞台にした映画がありましたが、あぁ確かにそんな雰囲気も持ち合わせているなと非常に納得。ホノカアボーイも非常に良い映画でしたのでもう一度観たいと思っている作品です。
そもそもトイレのPR映像
そもそもこの映画、TOTOだったかな?のトイレのプロモーション用映像から始まっているんだとか。それをヴィム・ベンダースに依頼したら「長編撮れるよ」ってなったんだとか。
始まりがそんな感じだからアスペクト比はシネマスコープではない4:3なのかな?なんてことを感じました。
トイレのプロモーションなのでもちろんトイレに関するネガティブな要素は一切なく、無口で不器用(本当は器用)だけど健やかに働く平山の人生にフォーカスをあて、さも小さくても毎日送る日々の素晴らしさを描いているように見える設計となっているのではないかと僕は考察しています。
そうしたプロモーション云々を差し引いても、というかプロモーションにも関わらず、メタファー的な表現が非常に上手で、この境界というか、美しさと脆さの曖昧さというか、表と裏の関係というか、光と影の存在というかなんというか。言葉では表現しきれない人間の複雑さの部分を見事に映像に落とし込んでいるのは本当に圧巻の作品でした!!
セリフがないのも逆に頷けますし、サブのテーマは木漏れ日ですしね。このあたりも本当に上手すぎる!!!!
プロモーションにも関わらず、ここまでレトリックに表現できるものかと僕は唸りに唸り、非常にグッときたのです。これは映像製作のお手本として参考にしたいと思います。
僕のクリエイティブ活動「Shine a Light」にも通ずるところを感じ、ちょっとうれしくもなりましたし、これを観たことでひとつ作ってみたい作品が思い浮かびました。
映画らしい映画を観たい方は必見ですよ!
そして劇中、ルー・リード以外にも使われている楽曲もそれぞれ意味があると思われるので必聴です。ラストシーンがすべてを語っていると書きましたが、実は冒頭の楽曲アニマルズの「The House of the Rising Sun」ですべてを物語っているんじゃないか?とも考察をしています。
まぁ、60,70年代の音楽ばかりなんで、ジジイどものノスタルジーではあることは間違いないんですが。なんせ楽曲の使い方も秀絶です!
同監督の『パリ、テキサス』は僕にはよくわかんねー映画でしたが、こちらは舞台が東京ということもあり、非常によく分かる映画した。
しかしヴィム・ベンダースは駄目な自己中男を主人公として描くのが好きですよね(笑)。とは言っても、彼の作品を多く見ているわけではないのでちょっと掘ってみようと思います。
間違っても「小さな幸せ」「日々の大切さ」「ありのままで」などといった、ウィスパーな自己肯定という名の”逃げ”に走るような解釈だけはするべき映画ではないんじゃないかなと僕は感じています。マッドマックス、スカイネットのような映画の世界の入口に立っているこのご時世においては。
そうした事をアートとした表現が日本にはあまりにも多すぎるため、僕は邦画を避けているところもあるんです。
Comments by daisuke kobayashi
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VoightLander 単焦点レンズが欲しい。
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