徳島県で映像・写真・執筆などのクリエイティブ業を営んでおります、DAISUKE KOBAYASHIです🎥
今日はヴィム・ベンダース監督『PERFECT DAYS』について。
Amazonプライムにて配信されていまして、ヴィム・ベンダースにルー・リードってことで気になっていた映画でしたので早速観てみました。
僕はなぜか邦画を基本的に毛嫌いしている傾向があり(笑)、ほぼ観ることがないのでこうして邦画を積極的に観るのは自分でも驚きです。
で、観てみた感想は非常に映画的で「やっぱ撮り方上手いな〜」と唸りまして、観て良かったなと感じた作品でした。さすが巨匠ヴィム・ベンダース!すごい!
とは言っても、映画の内容自体は一見中身が無く、それに合わせて非常にノスタルジックな表現となっています。そして淡々としており、現代のVlog的な映像とも言えます。
一見、人の良さそうな平山
過去を生きる主人公、平山(役所広司)に僕は全く感情移入する事は出来ず、故に全く好きではなく、むしろナヨっちくて嫌気がさすほどです。
平山は一見、人が良さそうに見えますが、実は自分の事しか考えていない自己中野郎感満載で、「こいつ過去に何があったんだ?」と思わずにはいられません。
ルーティンを崩されるとキレ気味になるあたりに人間性の小ささが現れており、ニコ(ベルベッツ!)という姪っこを妹に受け渡すシーンがありますが、その時の平山の無責任さや弱さといったらありません。
これは要は、単にノスタルジーを描いている映画ではない、ということなのだと僕は解釈をしていますし、タイトル『PERFECT DAYS』(元ネタはルー・リードのパーフェクト・デイという楽曲)という名前に集約されているんだなとも言えます。
セリフがほぼ無い!
というのも、この作品はすべてを語らないどころか、全くと言ってよいほどセリフがありません。平山の背景などの説明すらもないため、観た人の想像に任せるしかなく、それ故にメタファー化、もしくはカルト化する妙な面白さをも感じます。
同時に、解釈の余地があまりにも広すぎるため、逆に解釈を間違ってしまう危険さや危うさも感じました。で、これを観た多くの人たちはもしかしたらそっち側(危険な)な解釈をしているのかなーなんて印象を受けています。
ラストシーンがすべてを語っている
で、つまりはラストシーンがすべてを物語っていると言っても過言ではないと僕は感じていまして、ラストに流れる曲はニーナ・シモンの「Feeling Good」。そこに平山の笑いたくても笑えない無理した笑顔。そして朝日が昇るカット。でパーフェクト・デイでエンドロールと、あまりにも秀絶&皮肉だなと思いましたね。
だってこの曲、もともと麻薬依存者の曲と言われているんですよ!これをさも「今日はなんて素晴らしい日々なんだ」といった雰囲気を思わせるあたり、どう考えても皮肉としか考えられないじゃないですか!
人によっては「これぞ完璧な日々!平山さん最高!」とか思ってしまうんでしょうか?だとしたらそれってすげー危険だなーと僕は感じるのです。
なぜなら、平山のような受け身の人生を送る先に一体何があるでしょうか?僕はあんな人生絶対にご免だし、もし多くの人々がああいった人生を送りたいと考えるんだとしたら全否定すると思うし、悲しすぎねーか?寂しすぎねーか?いや、というかずるくねーか?セコくねーか?と思うし、ヴィム・ベンダースもそれを皮肉かつ映画的に美しく表現したんじゃないかな?と思うのです。
だってこうして素晴らしい映画を観れている原点は、人間だけが持っているクリエイティビティなわけじゃないですか!平山の行動を肯定するのだとしたら人間のクリエイティビティを否定することになるんじゃないかと思うんです。僕はそれは絶対にすべきではないと感じているのです!
もっと言うと平山は敗戦国の次世代のこどもだったわけです。戦争を知っている両親のもとに生まれ、外国文化が入ってきたカウンターカルチャーに平山は影響を受けたわけだが、両親にはそれが認められなかった。だから今でも施設に入っている父親と疎遠になっているし、トイレの掃除をしている…なんてこと、なんの理由にもならねーだろと。
ただ現実から逃げ、壁があるのなら避け、自分の生きたいように生きている極めて自己中心的な人間と言えるのです。
ニコとのシーンで「ママとは生きている世界が違うんだよ」と、映画内で唯一説明的なセリフを言いますが、まさに自分でそれを説明しているのです。
それに僕にとってルー・リードのパーフェクト・デイと言えば『トレイン・スポッティング』でレントンが純度の高い麻薬を打って沈むシーンなんです!
だから、この映画の存在を知った時や、「こんなふうに生きていけたなら」と使われていたコピーを見たとき、とてつもない違和感を覚えたのを記憶しています。
「ん?麻薬で落ちてこんなふうに生きていく?」と。
で、その答え合わせとして観てみて納得。「なるほどな〜」と。
いやーこんな酷いコピー、無しでしょう。いや、逆に巧すぎるなと。それもそのはずどうやら今作、電通とズブズブのようです。
「こんなふうに生きていけたなら」ではなく、本当であれば「こんなふうに生きた先に一体なにが残るのか」といった表現が誠実で正解だと思いますが、表面上、電通はブルーカラーを全肯定するというわけです。
そうして多くのブルーカラーに映画を届け、この映画の真意を有耶無耶にするというわけです。流石大手広告代理店。仕事してますね💩。
そうそうユニクロのCEOだったかな?も絡んでいます。というか資金の出所はそこからです。
脚本はヴィム・ベンダースと共同制作で高崎卓馬という方。『ホノカアボーイ』というハワイを舞台にした映画がありましたが、あぁ確かにそんな雰囲気も持ち合わせているなと非常に納得。
ホノカアボーイも非常に良い映画でしたのでもう一度観たいな。
そもそもこの映画、TOTOだったかな?のトイレのプロモーション用映像から始まっているんだとか。それをヴィム・ベンダースに依頼したら「長編撮れるよ」ってなったんだとか。始まりがそんな感じだからアスペクト比はシネマスコープではない4:3なのかなんてことを感じました。
トイレのプロモーションなのでもちろんトイレに関するネガティブな要素は一切なく、無口で不器用(本当は器用)だけど健やかに働く平山の人生にフォーカスをあて、さも小さくても毎日送る日々の素晴らしさを描いているように見えてしまうのです。
この境界というか、美しさと脆さの曖昧さというか、表と裏の関係というか、光と影の存在というかなんというか。言葉では表現しきれない人間の複雑さの部分を見事に映像に落とし込んでいるのは本当に圧巻でした!!
セリフがないのも逆に頷けますし、サブのテーマは木漏れ日ですしね。このあたりも本当に上手い!
プロモーションにも関わらず、ここまでレトリックに表現できるものかと僕は唸りに唸り、非常にグッときたのです。映画らしい映画を観たい方は必見ですよ!
僕のクリエイティブ活動「Shine a Light」にも通ずるところを感じ、ちょっとうれしくもなりました。
そして劇中、ルー・リード以外にも使われている音楽もそれぞれ意味があるので必聴です。ラストシーンがすべてを語っていると書きましたが、実は冒頭の楽曲アニマルズの「The House of the Rising Sun」ですべてを物語っているんじゃないか?とも考察をしています。
まぁ、60,70年代の音楽ばかりなんで、ジジイどものノスタルジーではあるんですが。なんせ楽曲の使い方も秀絶です!
間違っても「小さな幸せ」「日々の大切さ」「ありのままで」などといった、ウィスパーな自己肯定という名の”逃げ”に走るような解釈だけはするべき映画ではないんじゃないかな。
Comments by daisuke kobayashi
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VoightLander 単焦点レンズが欲しい。
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