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追悼 チバユウスケ氏 | DAISUKE KOBAYASHI

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追悼 チバユウスケ氏

追悼 チバユウスケ氏

映像クリエイターをしている、DAISUKE KOBAYASHIです。

残念な訃報を目にしたので書くことにしました。

元ミッシェル・ガン・エレファント、現The Birthdayのチバユウスケ氏が食道がんで亡くなったそうです。

ボクはミッシェル解散後以降はROSSOのファーストを追っかけたぐらいでほとんど知らないのですが、当時大好きだったバンドでしたので残念でなりません。

喉を非常に酷使する歌い方をしていたので、食道がんが発表された時はすぐさま治療に専念するとのニュース…もしやと思いましたが55歳という若さで亡くなるとは…

ボクがミッシェルと出会ったのはわりと遅め。当時、超絶パンク/ハードコア野郎だったボクはミッシェルやブランキー・ジェット・シティと出会うことでロックンロールを知ることになります。当時19歳ぐらいだったと思うのですが、そこからドハマりしていき、日本のロックンロールバンドをどんどん掘り下げる時期に突入します。

21歳の時には六枚目のアルバム『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』がリリースされ、このアルバムはハマってから最初のリリースということもあり、ずいぶんと聴きまくった一枚となりました。この時のツアーライブ『WORLD RODEO TANDEM BEAT SPECTER TOUR』の大阪城ホールにも行きました。

その後はライブがあれば必ず足を運び、2003年の確か名古屋レインボーホールで行われたラストライブツアー『LAST HEAVEN』にも行ってきました。確か夏だった記憶があるな〜。

ミッシェルは解散の一年ほど前に、レーベルが日本コロムビアからユニバーサルに移ることになりメディア露出がかなり増えました。その時からミッシェルの音はバラバラになったなといった印象を受けるようになり、解散の雰囲気を纏っているのが否めなかったのを今でもよく覚えています。Mステのアレは皆さんにとってとても評価が高く、ミッシェルを強く印象づける出来事ではありましたが、解散は近いだろうなーとボクは寂しい気持ちで一杯でした。フロントマンが髪を下ろすとだいたい解散が近いのです。

そしてミッシェル解散後は当時同時並行して活動していたROSSOを本格的に活動。ベースに元ブランキー・ジェット・シティの照井利幸、ドラムにアスフォートのマサト(10代のボクはマサト加入前のアスフォートを聴いていました)。たまらん。ということでROSSOの活動にワクワクしていましたが、結局ミッシェル解散の引き金とも言えるバンド活動になってしまったというコトでしょうか。

ROSSOは元ブランキージェット・シティの中村達也のバンドLOSALIOSと一緒にWEEKEND LOVERSというライブパーティを開催。ボクは大阪、名古屋と観に行ってきた記憶があります。かなり長丁場なオールナイトパーティでヘロヘロになって帰ったのを覚えています。この時はまだミッシェルは解散していない時だったかな?ストリート・スライダーズのハリーなんかもソロで演奏していました。

解散して以降は全くと言ってよいほどチバユウスケ氏の活動を追うことはなくなり、The Birthdayを結成しても一曲も聴くことも、知ることもありませんでしたが、時々メディアで目にしていたチバユウスケ氏。そして食道がんで治療に専念とのニュース。

『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』や一番好きなアルバム『カサノバ・スネイク』、そして『リリィ』『ダニー・ゴー』『世界の終わり』なんかを聞いて「人は老いるし、いつかは死ぬんだよな」と、サブスクを聴きながらノスタルジックに浸っていた日もありましたが、もう一度聴いてボクなりにチバユウスケ氏を弔いたいと思います。

人はいつか死ぬ。メメント・モリ。R.I.P

ミッシェル解散際によく演っていた記憶のある『blue nylon shirts』を貼っつけておきます。