徳島県で映像クリエイターとして活動をしている、DAISUKE KOBAYASHIです。
昔、ボクがニューオリンズへ訪れた時に非常に世話を焼いてくれたRussell Batiste Jr.(ラッセル・バティスト)が亡くなってしまったので、今日はそれについて書いてみたいと思います。
彼はニューオリンズで活躍するドラマーでした。有名なところだとミーターズ改名後のファンキー・ミーターズとしてバックを支えていたドラマーであり、再結成後の90年代のミーターズのメンバーでもあります。
何年頃だったかな?2009年あたりにファンキー・ミーターズとして来日した際、ライブに足を運び、軽く楽屋にもお邪魔して挨拶したりもしました。ええ、ミーターズなので当然ジョージ・ポーター Jr.やアート・ネヴィルが居ましたので握手していただきました。
そもそもラッセルとの出会いは、2007年にニューオリンズに20日間ほどだったかな?訪れた時にお世話になった日本人の山本さんという方がいまして、山本さんがラッセルの『Russell Batiste & Friends』というバンドでベースを弾いておりまして、山本さんを通じて知り合うことが出来たのです。
ラッセルはボス的な存在の人でしたので、一見怖そうな雰囲気を纏っていながらも、実は非常に世話焼きで気遣いをしてくれる優しい人でして、ニューオリンズに滞在している間は本当に色々と世話を焼いてくれていました。
家に遊びに来いといって、扉をノックして開いたと思ったら鼻に白い粉が付いていたりして、かなりチャーミングな人でもありました(笑)
その時にボクもドラマーだということを伝えると、「叩いてみろ」というから「レフティーだから叩けない」というと「左にセッティングして叩いてみろ」と言われ、叩いた記憶があります。その後ボクの左セッティングのまま、ラッセルは「どうだ、オレはお前のセッティングでカッコよく叩けるぜ!」と言わんばかりに叩きまくって、ボクにめっちゃマウントとってきたのを今でも死ぬほど覚えています(笑)
でも、実はその時のボクのプレイスタイルをしっかりと聴いてくれていたようで、数日後にRussell Batiste & Friendsがバーでライブをやることになったので遊びにいったら、ボクのプレイスタイルに合う曲になったら急にドラムを左にセッティングしはじめ、ボクをステージに立たせて「変われ!」といって半ば強引に(笑)叩かせてくれたのです。
急に人前に立ったため、もうカチカチに力み過ぎていた記憶しかありませんが、「バスの音はオレよりも良い」と後に言ってくれていたそうです(涙)。
その時の曲は今でもなんとなく覚えているのですが、ニューオリンズな雰囲気を纏いながらも、オリジナリティあふれるホワイトプログレ的なロック要素を持った曲だったと記憶しています。
ニューオリンズファンクスタイルのバンドばかりのニューオリンズで、こうした音を出しているバンドは実はかなり珍しく、ラッセルの頭の柔らかさ、そして懐の深さに当時感動したものです。ボクをステージに立たせるのもそういうことなのです。
その時のバー。まだ残っているかな?また訪れてみたい場所の一つです。
そうそう、自身が参加していたジャズ・フェスにもクルーとして連れて行ってくれました。わざわざラッセルの車で。
この時はRussell Batiste & Friendsの他に、ジョージ・ポーター Jr.とのトリオ(バンド名忘れた!)で参加していました。
この時…というか、数日に渡って行われていたのでこの日というべきかな?のフェスの大トリは確かレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。人が多すぎて見られたものではありませんでした。
その後はパパ・グロウズ・ファンクでギターを弾く山岸潤史さんなんかともラッセルは交流があったため、何故かボクも一緒にご飯を食べに行ったりもしました。いま思えばなぜ?
そんな彼の悲報は同じニューオリンズで活動しているアダム・ダイチのInstagramで知ることになりました。
そしてラッセルの映像を観たいと思い、YouTubeを探していたら若かりし頃のミーターズのライブ映像を発見!
ラッセル、キレッキレです!
正にMr. Powerhouse Funky Drummer!
ご冥福をお祈りいたします。
R.I.P
Comments by daisuke kobayashi
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