あけましておめでとうございます。徳島県で映像・写真・執筆などのクリエイティブ業を営んでおります、DAISUKE KOBAYASHIです。

今回はこのブログタイトルを『Hyperpast Journal(ハイパーパストジャーナル)』と変えてみましたのでそれについて。

2025年になったことで心機一転というわけでは全くなく、なんとなくの思いつきでして、以前のタイトル『Note』がどうもシックリきていなかったって事も理由としてあります。

本当は『未来ジャーナル』としたかったのですが、未来ジャーナルという名前を調べてみると聖教新聞の青少年向け機関誌として発行されているようなのでボツにしました。

ということで、Hyperpast Journal(ハイパーパストジャーナル)に落ち着いた訳です。思いついた時「キタ!」ってなりました。

なぜハイパーなのか?僕は『ハイパーテキスト』という言葉や概念が非常に好きです。

ハイパーテキストとは、情報を非線形的に構造化し、テキスト間でリンクを使って自由に移動できる仕組みの事を指しますが、要はリンクを使って情報を自由に行き来できる仕組みという事です。

1960年代にテッド・ネルソンが「ハイパーテキスト」という用語を作り出し、1989年にティム・バーナーズ=リーが「World Wide Web(WWW)」を提案し、ハイパーテキストの実用化が飛躍的に進みました。

このサイトもHTML(Hypertext Markup Language)を用いてウェブページが作られていますが、これによりリンクを通じて情報の相互参照が可能となったのです。

メディアとコンピューターを学ぶのに非常に面白い雑誌。

インターネットネイティブが当たり前のように存在している今、ハイパーテキストの存在自体が当たり前のようになっています…というよりハイパーテキストという言葉、概念すら知らない人々が山のようにいますが、僕はこうしたインターネットの原点である部分を大切&理解しておきたいと思い(なぜならインターネットの恩恵を存分に受けているからです!)、パストジャーナル(過去の記録)である自分のブログをハイパー化し、過去の出来事、技術、思想を未来の視点から再解釈するためのジャーナルとして書き残していこうと考えたのです。

また、僕はいつまで経ってもブログってやつが非常に好きです。現在ブログというとアフィリエイトやアドセンスなどで広告収入を得るための”副業ツール”という認識かもしれませんが、僕は”それ以前”のブログが非常に好きなのです。

それ以前とは、2000年代のある時期からインターネットの普及により情報が民主化され、誰でも簡単に情報を発信できるようになりました。それにより個人が自分の意見や情報を広く公開する手段としてブログが使われ始めた時のブログの事です。

当時のブログには広告案件はおろか、コンプライアンス、忖度などといった概念は基本的にはなく(サービスを提供していた側が広告を貼るなどはありましたが)、想いのままを書き綴っていたブログでしたが、書いている人それぞれに熱があり、読んでいて非常に楽しかった時代でした(←これを僕は多様性と認識をしています)。

YouTube黎明期もそうした熱がありました。こちらの方が記憶のある方はいらっしゃるかと思います。確かGoogleが買収する前でしたでしょうか?

その後はSNSの登場により”情報の民主化”はより進み、結果ブログは廃れていくわけですが、その時の”ブログの熱狂”が僕は今でも強く心に残っているのです。

そしていつか、このブログを何かしらの形にしたいと思いながら、形を変えながら模索しているのが今なのです。

“形”とは運営をしている僕ですら何かは分かっていませんが、これは僕にとってB面(パスト)にあたると言えます。ですので、A面(フューチャー)が作れたら最高だな、なんてことを思っています。

で最近、映画を観た感想を時々書いているんですが、それぞれの記事にそれなりにアクセスがあり、「へー、読む人いるんだね」と驚いています。

まぁこのご時世、アフィリで小銭を稼ぎたいあらすじ系、もしくはネタバレ系の事前に答えを求めるようなブログしかないので、僕のようなただの感想記事はある種貴重なのかもしれませんね。

先日観たのはこれ。

映画の感想を書くのは若干時間がかかるので難なのですが、書いてみると色々と解像度が上がるので良い作業だなとは思っています。

年末年始は『陪審員2番』やら『ペンギン』やらを観たので時間があればそれらの感想も書いてみたいと思います。しかしクリント・イーストウッドはすごいですね。

そしてこのブログはまた色々と変化をしていくと思います。hahaha。