こんにちは。
限界集落に住む映像クリエイターのDAISUKE KOBAYASHIです。

朝布団に入って猫のジョンと一緒に寝転びながら、なんの気なしにインスタの虫眼鏡を見ていたらフー・ファイターズのドラマー、テイラー・ホーキンスが出てくる。深堀りすることはなかったけど「なんだろう?」と違和感を覚える。

ボクはクリエイターであると同時にドラマーでもある。だからインスタの虫眼鏡でミュージシャンやドラマーを日々見ており、そうしたモノが出てくることが多いため、これもその流れで出てきたのかと思っていた。

次にChromeを開くと「テイラー・ホーキンス急逝」との記事が…「嘘だろ!」と思わず声が出るほど驚いて飛び起きた。

ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが亡くなった時には、残念な死ながらもそれ相当の歳を重ねていたため、不思議な出来事ではなかった。ロックンロールスターがとうとう星になったかと。

テイラー・ホーキンスはまだ50歳。若すぎる死、そしてデイヴ・グロールは一体どんな心境なんだろうかとボクも苦しくなってしまった。

デイヴ・グロールはニルヴァーナ時代にはフロントマンのカート・コバーンを自殺で亡くしている。その一年後にデイヴがフロントに立ち、フー・ファイターズとして再始動。それから多くの紆余曲折があったと思われる。当時アラニス・モリセットのバックバンドとして売れっ子だったテイラー・ホーキンスを迎え入れ今に至るわけだが、今度はドラマーを亡くしてしまうというなんとも酷な現実。

フー・ファイターズは当時からかなり追っかけており(一番最初に知ったのはMUSIC LIFEという雑誌で1995年の日本公演の時の記事)、ドキュメンタリー映画「Back & Forth」を公開当時に観たことがあるが、デイヴにとってテイラーは弟のような存在だと話をしていたのを何となく覚えている。それと同時に危なっかしさを当時から懸念していた様子も映画の中にも表現されていたように感じた(10年近く前に観た映画だからうろ覚えではあるが…)。

その危なっかしさは、テイラーに直接会ったこと無いボクですらも感じていたことだったし、なんなら今までよく生きているなと思ったこともあるほどだった。

実際昨年の12月にボクがドラムのレコーディングをしていた日にご飯を食べにいった時にフー・ファイターズの話になり「テイラー・ホーキンスっていつ死んでもおかしくない雰囲気があるよね」ってなんの気に無しに話をしていた記憶がある。

まさかそれが現実になるとは思っていなかった。残念でならない。

アラニス・モリセットバンドの時からスタイルが全く変わっておらず、一発一発の音に魂を込めるスタイルがとても好きでしたし、ボクも相当な影響を受けました。

2007年にニュー・オリンズに行った時、着いた当日にフー・ファイターズがフレンチ・クォーターの小さなクラブでライブをする情報を得たんだけど、「行きたい!」と思いながらも一緒にいた友人(フー・ファイターズに興味がなく)のことも考え、行かなかったことを今でも後悔している。一度は生で観たかったな。

今日は確か25歳ぐらいの時に買ったDVD「EVERYWHERE BUT HOME」を観て、テイラー・ホーキンスを追悼したいと思います。R.I.P

 

そして昔から変わらないスタイルのテイラー・ホーキンスを貼っつけておきます。因みにアラニス・モリセットのこの曲を初めて聴いたのは小林克也の「Zip Hot 100」。なんてかっこいい曲だと思っていまいち聞き取れない、聞き覚えのない外国語「アラニス・モリセット」という言葉を、ラジオの前でメモを用意して必死にメモって覚えた記憶があります。(でもアラリスと間違えて覚えていました)

この時の音楽情報はいまでもボクの記憶に色濃く残っています。シルバーチェアーやらスーパーグラスやら。そして一方ではガンズやらエクストリームやら。オルタナティブな時代でした。

毎週100位からカウントダウンしていく洋楽チャートは、中学生だった当時のボクが音楽情報を得るためには雑誌の次に重要な手段でした。インターネットなどありませんからね。

そしてテイラー・ホーキンスが叩いていたと知ったのは随分と後になってから。キレキレでめちゃくちゃカッコイイ!!ベーシストもめちゃ良い!