徳島県で映像・写真・執筆などのクリエイティブ業を営んでおります、DAISUKE KOBAYASHIです🖼

今日はコラージュについて。コラージュとはボクの認識では雑誌などのオブジェクトを切り取り、それらオブジェクトを貼って組み合わせていくひとつの表現技法として捉えていますが、実際はどうなんでしょう?大きくはずれてはいないと思いますが、今後コラージュの歴史を詳しく深堀りしていきたいと思っているところです。

さて、ボクは10代の頃からコラージュが非常に好きでした。なぜコラージュが好きなのかと今更ながらに思い返してみるのなら、コラージュに対して意識をした作品との一番最初の出会いはこちらだったように思います。

『GreenDay』の四枚目のアルバムだったかな?『Insomniac』のアルバムジャケットのコラージュ作品『God Told Me to Skin You Alive』(作家はデッド・ケネディーズのロゴを作ったWinston Smith)。土曜日に学校から帰ったら小林克也の『ZIP HOT 100』を聴くのが当時の日課でして、その時にラジオから流れてきた同アルバムに収録されているシングル曲『Geek Stink Breath』を聴き、近所のCD屋さんに自転車を走らせCDを買いにいったのがこのアルバムとの最初の出会いでした(邦題はラモーンズになぞらせなぜか『ギークはパンクロッカー』)。CD屋さんでこのアルバムジャケットを見たときにはかなり衝撃が走りました!

確か中学3年生の秋頃だった記憶がありますが、そんな思い出深い時期ってこともあってか?アルバムはもちろん、アルバムジャケット共にボクの記憶にかなり深く残っている作品となっているわけです。当時CD一枚買おうものなら大冒険。貴重な情報源でもあるのでライナーノーツなども隅々まで読んでいたわけですからね。

で、同アルバム収録曲『Stuck With Me』のMVがアルバムジャケットのコラージュをアニメーションさせたモノとなっており、これまた胸熱でした。

今でこそこうしてYouTubeで簡単に視聴することができますが、当時はボーリング場で延々と流れていたMTVでたまたま見かけたりだとか、深夜の音楽番組で一節だけ流れるのを見るぐらいしか機会がありませんでした。しかし深夜にTVでやっていた30分ほどのGreenDay特集をボクはすかさず録画!で、このMVが紹介されており、録画したビデオテープは擦り切れるほど見た好きなMVだったのです。

しかし!その熱は割と短く終わることとなります。高校一年生の夏休み頃にはGreenDayのようなメロディックな音楽には興味がなくなり、よりディープにパンク・ハードコアを追求していくことになります。そうするとよりコラージュ色の強いアーティストや表現にパンク・ハードコアを通じて多々出会うことになり、ボクにとってコラージュは特に特別な表現ではなく、ごく自然な表現方法として認識することになっていきました。(デッド・ケネディーズしかり!)

特にイギリスのアナーコバンド『CRASS』は芸術性も高く、コラージュ表現がとても格好良いバンドのひとつでした(作家はGee Vaucher)。こうしたバンドの影響もあり、当時の自分が住んでいた実家の部屋には、レコード屋でもらってきたライブのフライヤーなどを切り貼りしたコラージュ作品のようなモノを見様見真似で作ってみたりして、DIYをして自己表現をして遊んでいました。

こうして中学生から20歳そこそこまでパンクキッズとして過ごしてきたわけですが、ある時急にパンク熱は冷めることとなります。パンクとコラージュはボクにとっては切り離せない表現でしたので、パンク熱が冷めると同時に自然とコラージュからも距離を置くことになります。ボクにとってパンクとは「社会にインパクトを与える何か」だったのですが、それがいつしかロックンロールに置き変わったのです。このあたりについてはまた別の機会で詳しく書けたらと思っています。

そして、更に時代が進むにつれ『ミニマリスト』『断捨離』などと言った言葉が流行しだします。この時ボクはこうした言葉に全く影響を受けたつもりはありませんでしたが、たまたま過去の自分と決別しなければいけないと考えていたタイミングでした(パンクに影響を受けたことを愚かに思っていた時期でもありました)。なのでそうしたタイミングで過去に集めてきたモノたちを一気に売っぱらったり処分したりしまして、世間からみると完全にミニマリストと呼べるほどのモノで一時期は生活を送っていました。

それから15年以上の年月が経ちます。できる限り荷物を持たないライフスタイルを送ろうと考えていることは今でも全く変わっていませんが、過去との決別を果たしたにも関わらず、そして長年コラージュとは無縁の生活を送ってきたにも関わらず、コラージュ熱がまるで10代の頃のように再熱しているのが今なのです!

前置きが長くなりましたがバーン!制作してみました。処女作『Maiden Voyage – 処女航海』とでも題しておきましょうか。友人から頂いた映画雑誌『スクリーン』を切り貼りして製作してみました。全くコンセプトを決めずに作り始めたので酷いクオリティ&超駄作ですがこの過程も大事ってことで(笑)。

最近は気になったらなんでもペタペタ。まるで10代の頃のように無邪気に貼り付けてイメージを膨らませていっています。

近年ボクら世代の大人たちがまるで「過去の栄光」や「良かった時代の日本」をリバイバルしようとする動きがあちらこちらでみられます。昨日聞いた話だと『あぶない刑事』がまたリバイバルするんだとか💩いやもう流石にいいだろ…と思わざる得ませんし、そうした動きに対しボクは極めて冷やかな視点で見るようにしているのですが、こうしてボクがコラージュにお熱になっているのもある種のリバイバルなのかもなーなんて思っていますがどうなんでしょうね(笑)。

とはいってもボクは「過去の栄光」や「良かった時代の日本」に興味はなく未来しか見ていません。もっと言うと未来を描くために過去があるとしか考えていませんので、10代の頃の過程(1994年)は確実に未来(2024年以降)のためにあったのだなと30年という時を経て、今実感している次第です。そう、ボクはパラレルワールドがとても好きなんです。まあ『あぶない刑事』もパラレルワールドという解釈が出来なくもないのかもしれませんが💩という堂々巡りになりますね(笑)

現在において河村康輔氏が大変胸熱なコラージュ作家として活動をしておりますが(大友克洋GENGA展のコラージュは狂おしいほど素晴らしい!)、彼もどうやらパンク育ちで作品の仕上がりを見れば一目瞭然(Winston Smithと作品集を出版しています!)。近年は広告よりなのでかなり駄作感が否めませんが…。そして巷ではコラージュ表現が少なからず流行っているような様子も伺えますが、DIYや反骨精神からの表現は皆無。ですのでボクはそれらのオルタネティブな表現としてコラージュ作品を輩出できたらと考えています。そう、まるでリチャード・ハミルトンのように。で、なんの話だって、10代の頃に憧れたコラージュ作家を目指します!って話でした。

で、ボクは映像を作っている人でもありますので、こうしたコラージュ表現をインフォグラフィックス化などして、実写と掛け合わせて表現していきたいのです!そう、ボクはパラレルワールドがとても好きなんです。

あ、というかそもそもボクのこのWebサイトのトップもコラージュ動画を貼っつけていたりしますし、お仕事として実はコラージュを少しだけ作る機会もあったりしましたので、デジタル上では経験済みではありました。これを加速させていきたいって話でした。