徳島県で映像・写真・執筆などのクリエイティブ業を営んでおります、DAISUKE KOBAYASHIです🥁
今年の梅雨明け後の夏は非常に暑い!見事に晴天が続き、夏が大好きな僕としてはたらないのですが、子どもが生まれてからの夏は、”それ以前の夏”と全く気持ちが違うため、なんだか微妙な心境でもあります。
まるで”あの頃の夏”は完全に過去のものとなり、僕の夏は娘のための夏であり、青春時代を忘れてしまったかのようなそんな気持ちなのです。
さて今回の記事は僕の青春とも言える、ブランキー・ジェット・シティのサブスクが解禁したのでそれについて。
どこかのニュースで7/28に解禁!なんてのを見て「何!?」といてもたってもいられなくなりまして、その日を待ちわびていましたが、解禁されてからというもの、車の運転中はいつも「ドキドキするようないかれた人生♫」な気持ちなのです。僕が加入しているサブスクはSpotifyね。
ちなみに僕は愛知県出身であり、ブランキーのメンバーとの年齢差は15年ぐらい。なのでだいぶ上の先輩方はブランキーのメンバーの事をよく知っている人や(人のノートを覗き見するやつ)、ベンジーとバンドやっていた!なんて人や、ブランキーを追っかけていた先輩がチラホラいて、距離感としてはかなり近いし同じ名古屋弁だし、当時最高のトライアングルを作っていた日本の理想のバンドでもあるので、影響を受けないわけがないのです。
……とは言っても思い出してみると、僕が一番最初に聴いたブランキーのアルバムは5thの『SKUNK』。当時15歳の僕は同アルバムに入っている『15歳』を聴いても全く痺れることなく、寧ろアルバムジャケットを見て「裸になっててて気持ちわりーな」と思っていたほどで(笑)、同時期にリリースされていたVHS『Are you happy?』も友人に見せられてもこちらも全く痺れることなく、「声の高い苦手なバンド」としてずーっと君臨をしていました(笑)。
しかしどこかのタイミングで完全にスイッチが入り、苦手だったバンドから大好きなバンドになり、それ以降ひたすら聴きまくったし、ドラムの参考としていた非常に思い出深いバンドなのです。おそらく僕の人生でビートルズの次に繰り返し聴いてきたバンドで間違いないでしょう。
そうそう僕はドラマーでして、僕の20代の頃のドラムスタイルはLed Zeppelinのボンゾ、カーマイン・アピス、そして中村達也で構築されていました。
もちろんCDは今でもすべて持ってるため、わざわざサブスク解禁を待つ理由はありませんが、なんだろう……ブランキーがサブスク解禁ってなんかうれしいじゃないですか(一番解禁してほしいのは山下達郎ですが!!!!)。
そして、それと合わせて中村達也のソロバンド『ロザリオス』のアルバムも2枚解禁され(こちらもCD持っています笑)、照ちゃんの『RAVEN』やチバユウスケとのバンド『ROSSO』なども解禁されたのです。
ROSSOについてはファーストを出した後に熱は完全に冷めているため、ファースト以外はほぼ知らないのですが、ファーストリリース時には「Weekend Lovers」といったオールナイトイベントにも参加していたので、懐かしさのあまり、今聴くと当時の思い出が蘇るアルバムです。あー大阪から名古屋に帰るための電車を待つのに松屋で時間潰したなー。
さて、ブランキーに話を戻すと当時もそうでしたが、今聴いてもやっぱセカンド・アルバム『BANG!』が僕は最高に好きなんです。
個性的な3人の絶妙なバランスから見事にケミストリーが生まれており、何よりすごいのがそのバランスとケミストリーがきちんと作品として落とし込まれている事。CDよりもサブスクの方が音が良いと感じるため、昔聴こえなかった音が聴こえるようになり、当時より更に作品としての完成度の高さを感じるれるようになりました。
しかし中村達也のドラム、当時から聴きまくってドラムのお手本として参考にしていましたが、今聴くと当時感じていた以上に「歌うドラム」で驚きました。彼は手数が多いタイプのドラマーで、上モノに耳がいきがちですが、実はバスドラムの使い方に他のドラマーとは違った特徴がかなりあり、それをベースに曲を構築しているのです。だからめちゃくちゃやっているようでもバランスが崩れないのはそういうことで(ライブは崩れまくる時が多々ありますが)、照ちゃんのベースをちゃんと聴き、それに合わせたバスドラムのフレーズを踏んでいるのです。CDだと聴こえなかったバスドラフレーズが聴けてオラ幸せ。
プロデューサーは『すみれ September Love』でヒットした一風堂の土屋昌巳。ブランキーの今にも崩れ落ちそうな粗さや繊細さを、この方のプロデュース能力で補っているのが本当に素晴らしく、当時の”瞬間”を作品として落とし込んだ土屋さんの能力はすごいなと今聴いても思いますね。それはもうファーストとの違いを聴けばあきらかです。Mr.Childrenの『深海』をプロデュースした小林武史の存在と全く同じ感覚です。
サード・アルバム『C.B Jim』やそれ以降の作品でも”ソレ”を感じることができますが(プロデュースは同じく土屋さん)、やっぱり僕はセカンドのバランスがすごく好きなんです。音のバランスも最高ですよね。ミニ・アルバム『METALMOON』なんかも最高ですけどセカンドには全く敵いません。
土屋さんのプロデュースから外れ、セルフプロデュースとなるのが6thアルバム『LOVE FLASH FEVER』以降で、ここから東芝EMIからポリドールとレーベルも変わり、それがきっかけというよりは時代の音の変化にベンジーが非常に敏感だったんじゃないかなーといった印象で(レディオヘッドの影響をすごい感じるようになりました)、それまでの音作りや雰囲気からがらりと変わり、当時持っていた繊細なバランスは崩れ、結果9thとなるアルバムで解散となってしまいました。
『赤いタンバリン』なんてヒット曲があるけど、あれがブランキーの姿かと聞かれたら僕は「?」なんです。当時は『バスケットケース』みたいなぬるい曲をブランキーが作ったぞ?と10代の僕たちはなったし、ミッシェル・ガン・エレファントだって『デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ』なんて駄作であり、名曲は『世界の終わり』で間違いないがもっと掘れば『トカゲ』とか『ドロップ』だろ!と僕は思うわけです。
僕がブランキーにのめり込んでいた時にはすでに解散しており(確かブランキーに完全にハマったのが2002年)、ライブを生で見たことはないのですが、同じ名古屋、同じバンド時代をこのバンドと生きれたことをとても大きな経験として今でも思っています。
ブランキーにハマる前の僕はとにかくどうしようもないハードコアパンク野郎でしたので、あまりにも綺麗すぎる音に全く魅力を感じることができなかったのです。当時はもっと粗く、もっとノイジーで、もっともっと衝動的でどうしようもない音楽が好きで堪らなかったのです。分かりやすいところだとナパーム・デスとか好きだったよ!でもDischargeが死ぬほど好きだった!
思えばバンドが持つ繊細さや美しさに気がついたのはブランキーが最初のバンドだったかもしれません。それ以前はただの衝動だけ。それ以後は音楽の幅がどんどん広がっていき、ブルース・ロックから入り、ハードロック、プログレ、ジャズ、ブルース、ファンク、リズム&ブルース、ソウル、フュージョン、ワールドミュージックと追求をはじめることになるのです。
テクノやヒップホップ、ハウスなどに手を出すことはなかったので、割と80年代あたりで音楽のルーツを掘るのはやめてしまいました。のでそれ以降の音楽は今でもあんまり知りませんし、今でもあんまり興味が持てなかったりします。
2000年あたりのディアンジェロやクエスト・ラブ、そしてピノ・パラディーノや、それ以降のロバート・グラスパーやクリス・デイブが作った”あのノリ”には非常に影響を受けておりかっこよいと思ってはいますが、日本人で”あのノリ”やってるの見ると寒気がします(笑)。2010年代以降の音楽に関してはマジで「?」で、何が良いのかさっぱり分かりません。
と、これから先ブランキーのような、今にも崩れ落ちそうなバンドは滅多に出てこないんだろうなと、ブランキーを聴いて改めて思う次第です。もしいても絶対に売れないから知る余地もないんだろう。と、自分が音楽の熱が上がらないのはきっとここなんだろうなと感じます。
果たして10年後の音楽はどう変化しているんだろうか?より一層ポリコレ化が進み、より表現の狭い音楽となっていくのだろうか?僕はそんな音楽に興味は持てないな。
未来は好き。でも所詮僕はノスタルジー野郎なんです。
Comments by daisuke kobayashi
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VoightLander 単焦点レンズが欲しい。
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